日々のくらしと思考を時々

金沢でのくらしのこと。ちょっと行きすぎる思考をあまり遠くまでいかんように紐でもつけて、時々ひっぱってやる。そんな自分の為のブログ。あわよくば人の役にも立てたらな…

はじめてのこと

初めてのことが怖い。それは誰でもだろうけど。
以前の私は緊張よりわくわくの方を大きく感じるタイプで、面接だとか発表会だとか直前の緊張までも楽しんでいた。
ここから何かが始まる。この後、自分がどう振る舞うか全てカラーで見えた。勿論、うまくいくパターンが。

年を重ねて、少しずつ挫折みたいなのを経験した。いつからかカラーではイメージできなくなり、画の周囲もぼやけていた。

そうして時が経って全く自信のなくなった私は、実は昔から私は自分にとって難しいことには挑戦してこなかったことに気づく。

私は安全な橋を堂々と渡って満足していた。圧倒的に挫折が足りなかった。

20歳を越え、挫折は続く。主に仕事、人間関係。次第に私生活もぐらぐら安定しなくなった。

何をやっても指摘された子ども時代が浮き彫りになった。実は引っ込み思案で地味な自分が前に出てきた。

わからなくなった。

私は今までの私は何だったのか。
結婚して、子どもを産んだからではない。私がわからなくなったのは。
もともと私は私をわかっていなかった。そして受け入れられないでいた。

みんな色々な思い、悩みを抱えていきている。
あの時衝突した人も、助けてくれた優しい人も、一緒に居てくれた人も、離れていった人も。

私はどこかで自分が偉いと思っていた。見下ろしていた。
私の見方が正しい、私のやり方がいいに決まってる。
言葉では相手を尊重しても、心は違った。
たくさんの偏見があった。

自分とは全くタイプの違う人と結婚して、相手を否定しまくって、自分も否定して気がついた。

みんな違ってみんないい。金子みすゞさんの詩がこんなに深かったとは。
父が幼い時からいい続けてくれた、『人は人、自分は自分』の意味を取り違えていた。
自分勝手になることではなかった。

旦那さんのおかげで、今まで私がうまくいかなかった出来事や合わなかった人のことが理解できた。
世の中の仕組みや世界、宇宙にも関心が湧いてきた。

みんな伝えてくれてたのにね。

私はとても恵まれた環境で育ってきたことにも気づく。
そして今も恵まれているのだ。
『一体何が欲しいの?こんなにあるのに』あの時の声が聞こえる。
苦労して生きてきた人は深い人間になると思って、自分の今までを台無しにしてた。苦しい方を選んでいた。

私の人生は周りに感謝することから始まる。今までどんなに助けてもらったことか。
両親だって人だ。衝突したあの人達だって、同じ人なんだ。
目に見えるその一辺ではない。もっと複雑で神秘的で素晴らしい。

今一歩踏み出そうとして、また不安になっているのは、心の癖だ。
どこにも敵はいないよ。大丈夫。